kitsuneno88の日記

グレーゾーンの診断をされた狐野が書く、徒然日記です。

衝動性と自傷行為、自分を好きになりきれない

お久しぶりです、狐野です。

 

さて前回に引き続き物騒なタイトルなんですが、自傷行為とひと口に言ってもその種類はさまざまかと思います。

わたしの場合は、アトピー性皮膚炎もあって、皮膚を血が出ても掻き続ける、でした。

思い返すと、嫌なことがあったりうまくいかないと掻きむしっていたように思います。その辺の記憶はものすごく朧げですけど(笑)

仕事をするようになってから程なくして、中学生の頃の同級生から連絡があり、一時期◯ュー◯◯イズの商品を使っていた時期がありました。アトピーなのをその同級生が覚えていたのか、効果があるからとシャンプーやサプリを勧められて購入したりしていました。

サプリを飲んでいると赤みや痒みが肌に出て、飲む以前よりも症状が悪化した時期もありましたが、好転反応だと言われしばらく続けていました。恋人ができた頃まで続けていた覚えがあるので、11年ほど前でしょうか。私を鼠講の一部にしたかったのだと気づいていても、アトピーが良くなるなら…!としばらくは続けていました。

安くはない商品を買いにわざわざ東京の本社に行ったり、通販で頼んだりしているのがだんだん面倒になり、さらに恋人に変に思われたくない…と、やめた後は医者の薬で治療し、今はほぼほぼ痒みとは縁遠くなりました。時期により痒みがないとは言えませんが、むやみに掻きむしることはなくなりました。

 

ひと昔前は痒みは痛みの弱い感覚と思われていたらしいのですが、最近の研究で、痒みを感じる専用のセンサーのようなものがあり、そのセンサーが痒み物質に反応する以外に、肌の乾燥で誤作動することがあるのだと判明したようです(トリセツって番組を一度見ただけなので、この説明はわりとうろ覚えです。すみません…!)。

 

痒みを感じるという点で、内臓が原因なこともあるようですが、私は主にストレスが原因だと思います。

誰かと会話している時に、嫌なことを言われたりすると、その場を荒立てたくない場合はそれをスルーしたり、遠回しに注意したりする事になるかと思うのですが、その我慢がストレスになり、皮膚の痒みとなって現れることがあるのではないかと思います。

我慢だけではなく、何かを思い出せないとか、ちょっとしたストレスは、内部の不調まではいかず、痒みセンサーが反応するような気がします。ほぼ私の体感的な話になってしまいますが、肌が1番外側にある空気に直接触れている部分なので、あり得るかなと思ったりします。こちらもどこかで既出でしたら申し訳ございません。

肌に合う繊維がどうという話もあり、アトピー持ちの私は気にかけることがありますが、自然素材が痒くならないかといえばそんなこともなく、肌触りがよくチクチクしたりしなければ化学繊維でも全く痒くないこともよくあります。アトピー性皮膚炎にヒートテックは敵だ!と言われがちですが、着ていても痒みに悩まされたことはほとんどないですね。汗に反応して発熱するように作られているので、汗ばむと痒くなることはあるのですが、夏に何の布もない首元に汗をかくと痒くなるのでヒートテックのせいかと言われると可能性は低い気がします。あくまで私の場合にはなりますが…

 

痒いと掻きたい衝動に駆られ、赴くままに掻いていた時代もありました。肌が痒そうに赤く、少し腫れていたりする、掻くとまた痒みが増して薬を塗って治るころまた痒くなっての繰り返しで、とても辛かったのを覚えています。

ですがある時、何故そう思ったのかは忘れてしまいましたが、肌を掻きむしることは自傷行為と変わらないのではないだろうか?と思ったのです。リストカットほど精神を病んでる印象もなく、ただ病気なんだな、と見られることが多いと思いますが、ある意味、アトピー性皮膚炎もストレスや、心の病が原因にあるのではないかと思いました。

そう思ってからは、自分を傷つけるのはやめようと、肌が荒れるほど掻きむしることはなくなりました。蚊に刺されたりストレスを感じて掻いてしまうこともあり、ゼロではありませんが、昔に比べたらほぼゼロと言っても過言ではないほど、掻くことで肌が荒れることはなくなりました。ストレスを感じた時など、自覚出来ずにうっかり掻いてしまうこともありますが、そういう時は薬を塗れば翌日には気にならなくなる程度のやつで済んでます。

自分で痒いより痛い方がマシだーと自暴自棄に近い状態で掻く、ってことは本当に無くなりました。

 

ストレスを受けることがあっても、それを紙に書き出したり、スマホに打ち込んだりして他の方法でストレスを発散させることができるようになり、夏は半袖を着ても恥ずかしくなくなりました。

ADHDASDの特性もあり、生きづらさをたくさん体験していたであろう狐野少年は、さまざまなストレスが絶えず、掻かずにはいられなかったのかもしれません。

アトピーのせいで気持ち悪いと言われたり、同級生に避けられるようなことをされていたし、子供ながらに嫌な思いはたくさんしていたのだと思います。その時の感情は全く覚えてないんですけどね(笑)

そんなこともあり、自分を好きになりきれず、自分を大事にしないことが多いように思います。自分が嫌われるのは仕方ないと思っているのか、深層心理はよくわかりませんが、よく相方にケンカを売っているような言い方をしてしまうらしいです。それがADHDの衝動性と重なって、無意識に傷つけるような言い方をしていると指摘されることが多々あります。

その度自分のせいで相手を不快にしてした事に後から気がつかされて自己嫌悪、立ち直るまで最低でも30分はかかってしまいます(;_;)

こればかりはなかなか治りませんね…良い対策ご存知の方がいらしたら、教えていただけると助かります。

いろんな記事で、自分を愛して自分を大事にするのが幸せの第一歩とあったりしますが、それを実践するのは夢のまた夢と思うほど、何かにつけて失敗を繰り返す自分が好きになりきれません。

衝動性を自覚していても、全ての言葉を考えてから話すようにしたら会話が成り立たないくらい反応が遅れてしまうので、特に心の距離が近い人間には気を遣わずに話したいこともあり、赤の他人には言わないようなことも言ってしまう、ある種の甘えなのだと思うのです。

成績も良い方ではないし、思いつくことがよく他人に迷惑をかけるので、自分は馬鹿で使えない子なんだなと自覚していても、恋人から言われると、傷口に塩をこれでもかとかけられているようで立ち直れなくなりますよね…赤の他人に何言われても気にならなくはなりましたけど、関係が近い人に言われるのは辛いです。

 

極論かもしれないですが、人は皆何かしら凸凹があって、自分の才能や周りの環境で救われている人はその凸凹に気が付かずに生きていけるのではないかなと思ったりします。

環境にうまく適応できなかったり、周りの理解を得られなかったり、対策を自分で立てられなかったり、そういった巡り合わせが悪いと生きづらさとなって目に見えるのではないかと思います。

それに名前をつけて分類して、悩んでるのは貴方だけじゃないんだよ、と安心するための命名というか(流石にこれは飛躍しすぎかもしれないですね)。

相方も怒りをうまくコントロールできないだけでなく、もしかしたらどこかにものすごく苦手なことがあって、それを恥ずかしく思ったり自覚していないだけで、どこかそういう面もあるのかなと思うと、怒りもそこまで強い感情になって出てこないのです。

自分の出来なさ加減には、結構な頻度でイラつきますけどね(笑)

でも出来ないからこそ出来た時の喜びは大きいし、こうしてみようとか、ネットの知恵を拝借したりとか、なんとか生きる事に自信を持っていけたらいいなと思います。

私にしかできないことが、きっとある。と。

 

ずらずらと1番長い記事になりました。

3300文字以上は、活字が苦手な私には多くても、他の方にはそんなに多くないのでしょうか。そこらへんの感覚もわからないので何とも言えないですが、今回はこの辺で失礼します。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

またここでお会いできますように。

 

殺意が湧く瞬間

めっっちゃくちゃ久しぶりでごめんなさい…

わりと精神的に安定はしていたんですが、他に思いついたやりたいことを優先させていて、ここの存在を忘れかけておりました…

ADHDの衝動性と忘れやすさの塊でした…

楽しみにされている方がいらしたら大変申し訳ございません…!!

 

さて、久しぶりのくせに物騒なタイトルですが、誰にでも多少はありますよね。殺意が湧く瞬間というものが。

相方は私の発言に少しでも敵意を感じると、裏切られたと感じて怒りをうまくコントロールできなくなることがあるようです。

一方私はといいますと、自分はあまり殺意を感じたことがないなぁ…と思っていたのですが、ありました。

寝入る瞬間に話しかけられた事により目が覚めて、しばらく眠れなくなった時、でした。

おそらく今まで生きてきた体験上、睡眠不足によりあらゆる失敗や体調不良に見舞われてきたことや、発達障害ゆえの疲れやすさからか、睡眠に対する欲求が強いのだと思われます。

話しかけるという行為は、故意にしなければ起こり得ない行為なので、寝ようとしてる人間になんで話しかけんねん?!?!というイライラがきましたね。

くしゃみや咳、いびきやうっかりさせてしまった物音にはそこまでイライラしないです。(まぁゼロではないんですが(笑))

寝ようとしてるのわかってて、マウスやコントローラーの音をさせてるのもイライラしますけど、それも故意に音を立てようとしてるのではなくても止めることは出来る事、なので同じ分類かなと思います。

普段そこまでイライラすることがなく、他人にはイラついてるように見えることを言ったりやったりしてても、自分自身の体感イライラレベルは5以下(Max100)なんですよね。大半が体感レベルは小数点以下なのです。

まぁ…ゼロではないんですが…(笑)

でもそのくらいなら、他の事に気を取られたり別の話をしたりすればすぐどっか行って再燃することはほぼゼロです。まぁ、ゼロではないんですが(しつこい(笑)←)

それでいくと入眠邪魔されるとMax振り切る勢いで「はぁ?寝るって言ったべ、なんで話しかけた?!?!殺すぞてめぇ、死に晒せ」くらいに思いますねぇ…思うだけですが。

これ、ついさっきあったので書けてるのです。

この感情は寝て起きたら忘れてるんですよね。これは間違いなくゼロになってます。

なのでさっき起こるまですっかり忘れてました(笑)

多くは相手が眠くないから話しかけて来るわけなので、寝れなくなったやんか、と怒ってない口調で言ったり、少し話したりすればイライラが治まるので、私の場合は、実際怒ったり暴れたり、と怒りを露わにすることはないです。

ここに一次感情はほぼないと思います。

邪魔されてそれに対して怒りが湧いてる、ということには、こういう一次感情があるのでは?と思った方はコメントください(笑)

さっき話しかけてきたくせに、君はすぐ寝とるな?!とイライラ重なることもありますけど、まぁ悪気ないんだよな…と思いつつ、動画見たりすればすぐ忘れるんですけどね。

こればかりは、ADHDの忘れやすい特性がありがたい瞬間ですw

 

怒りというのは大体が二次感情で、寂しさや情けなさなど、本人にとって表に出すのを躊躇うような負の感情があるが故に出てくる弁慶さんのような存在なのです。実際の弁慶さんは優しい人かも知れませんが、内弁慶という言葉があるので、名前をお借りしました。不快に思われた方がいらしたらすみません。

少し脱線しましたが、怒りは自覚したくない感情を自覚する隙さえ与えないようにして、自分を負の感情から守っている防衛反応なのではないかという話があります。

怒るという行為はとても強く、エネルギーがいる行為なので、記憶に残りやすく、最初に生まれたはずの寂しさやなんかはミジンコほどのサイズで怒りに潰されてしまい、怒りの対象に、何故怒りが湧いたのかが分からない、という方も少なくないのではないでしょうか。

怒りに隠れたミジンコに気がつけるかどうかが、怒りと向き合う第一歩だと思います。

怒りのコントロールができない方は、"アンガーマネージメント"と検索するといろんな対策が出てくるかと思いますので参考にしてください。

 

私の場合は、故意にでも、"悪気"なく行われていなければ全て許す、としています。

外で子供が騒いでも、近所の家の改築で煩くても、井戸端会議が騒がしくても、新聞配達のバイクが気になっても、猫が喧嘩していても、その人(や猫)達は、私が家の中で静かに過ごしたいと思っているなんて、知り得ないことです。そういうことは、自分が対策すればいいだけなんですよね。

相手をコントロールして思い通りにしようとするんじゃなくて、自分が気にならないように思考を変えたり、環境(音楽を流して紛れさせるとか、耳栓するとか)を変えればいいだけなんです。

流石に毎日毎日長い期間うるさくしていて、自分以外も迷惑に感じる方がいるのなら、注意喚起はしてもいいとは思いますけどね。

それでも相手の事情も少しは考えて、お互い負の感情を抱かないように伝えなければ、最近はすぐSNSに上げられたりしてしまうので細心の注意を払わなければいけないんですよね。

世知辛い世の中です。

 

何事もアサーティブに解決できるのが一番いいと思うのです。アサーティブとは、簡単にいうと相手も自分も大切にするコミュニケーションのことです。残念ながら日本にはいい感じに直訳できる言葉がないみたいなのですが…

小学生に入る前からアサーティブな心を身につけて育てば世の中平和なのに、と思ったりします。

あまり現実的ではないですが、なんとかして教育現場に取り入れられないかなと思う今日この頃です。

 

と、そろそろ私の怒りも治まったので、今回はここまでにしたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

またこちらでお会いできますように。

【解釈】エンベロープ

どうも、狐野です。

今回は少し新たな試みです。

今期のドラマ、リエゾン-ごとものこころ診療所-は、少しでも発達障害という言葉を気に掛けたことがある方や、当事者の方々に注目されているかと思います。

そのエンディングテーマであるコブクロさんの「エンベロープ」、メロディや歌詞がさすがという言葉しか出てこないほど刺さりまくってしまったので、私がどんな風に感じて入れ込んでしまったかを書いてみようと思います。

メロディについては素人ですので控えて、歌詞のみの解釈ですが、ご興味がありましたら、是非最後までお読みいただけたらと思います。

 

こちらをご覧いただける方は、ご一読ください。

歌ネットさんから貼らせていただきました。

https://www.uta-net.com/song/331236/

リンク貼るのも初なので、うまくできてなかったらごめんなさい…!

以下おそらく非常に見にくいですが、「→」の左側が全て歌詞ですので、そちらを続けて読むと本来の歌詞です。ご参考までに。

 

歌詞というものは、メロディラインに乗せるために限られた文字数で、比喩や省略された言葉、その曲が発売される時期や、諸々の事情、情景、環境、風景、つくった時期のつくり手の心情等々、いろいろな要素を練りに練って考えてつくられた作品で、比喩だったり言葉通りだったりだと思います。この言葉をこう解釈した、言葉の前後にこういう言葉が入っているのかな?というところを()で囲み、それ以外は言葉通りに受け取っています。

勘違いがすげーなwと笑われても構わないです。

こう思ったら、涙が出てしまった、というだけのただの妄想みたいなものですので、不快な思いをされたらそっとページを閉じてくださって構いません。

興味がある方、共感してくださる方がいるのなら嬉しく思います。

以下解釈になります。

よろしくお願いします。(←?)

 

 

(青色)の欠けた→青から連想されるもの、冷静、青信号、正常、落ち着き

()色鉛筆を広げて→子供の頃、見える世界を描くのに渡されることが多い12色の

(海を描くあの子は 夕暮れが来るのを)→海は皆と同じように青く見えてはいるけれど、自分の色鉛筆には青色がないから、持っている色で描ける、夕暮れの色になるのを

()一人 笑顔で待っている→自分以外が皆、青色で描いていることに気がつかずに、焦ることもせずに

もし あの子に一つ渡すなら (青色のそれじゃなく)→海は青という多くの一般的な意見を押しつける色ではなく

()好きな色に 空が染まるまで→自分の色鉛筆で描ける

(寒くはないように)マフラーを→体だけではなく、心まで寒くならないように

時間だけが包み込む(色)→世界

(影の向きで 光を感じる)→影の向き=夕暮れの伸びた影=他の人より遅れたタイミングで、光を感じる=気がつく

 

(凹んだ心は 内側からしか戻せない)→障害のない人から傷つけられた心や傷は、自分で治して立ち直るしなかい

(ブリキの様な壁の中 守っている)から→ブリキのように外(他人)の世界が見えない壁の中で生きていて、凹んだところを戻したとしても新品のような綺麗な状態には戻らないけど必死に戻そうと頑張っている

(みんな一緒だと)思ってた   あの子はそうじゃないから→周りの様子に気がつくことも出来ずに自分が普通、みんなも同じくらい苦労しているのだと

シャボン玉の様な()心に→壊れやすくて繊細な

(乾いた)手で触れないで→生きづらさを感じていない何もない普通の

(同じ雨と 涙に濡れた)→同じ境遇、痛みを理解して泣いてくれた、涙を拭ってくれた

この指先でなら(運べる 壊さずに包み込んでいよう)→一緒に、壊さないように守って、痛みを理解して傷つかないように生きていこう

いつか君が (光を描く)日まで→未来を夢見る

 

きっと あの子が持ってる宝物は (鮮やかなそれ)じゃなく→色鉛筆=自分が持っている世界

(悲しい色)をぼかす消しゴム→たくさんしてきたツラい思い

(消えない思い出に)マフラーを→どんなにうまくできるように工夫してもツラい思い出はなくならない、思い出してまた心まで冷えて凍えてしまわないように

(優しい風を捕まえながら) 歩いて行け→自分に合った世界を自分のものにしながら

(自分色の空)へ→自分が生き生きと過ごせる世界

 

✳︎商品によって色がたくさんあったり、メーカーによって色味が違ったり、筆圧の強さで色の濃さを変えられたり、いろんな特徴のある色鉛筆を、個人の価値観や世界観に例えているようで、言葉の選び方がすごいなと思いました。

✳︎変な事言ってしまったり、たくさん失敗したり、工夫してみてもうまくいかなくて自分が嫌になったり、そんな消したい過去をたくさんたくさん抱えていることに対して、消しゴムを大事にしてるというのもとても綺麗な、他人を傷つけない表現で素敵だなと。

✳︎時間だけが包み込むというのも、時間は無情に流れるけれど、だからこそ全ての人に平等で差別のない、というふうに取れてとても良いなと思いました。

✳︎マフラーをかけるという言葉があることで1人じゃない、見守ってくれる人がいると思わせられ、当事者(あの子)からの視点と、親からの視点が混ざっていて、本当の理解者が少ない苦しみも滲んでるようで、名曲だなと感じました。

 

曲について詳しく検索したりはしていないので、他に解説してる方がいらして、内容が被っていたらごめんなさい。

当たり前のことも言ってるかもしれないですが、解説しないと気が済まなかったので、当たり前やろ!ってことも書いてますので悪しからず(^^;

特に参考にしたものはなく、ただ自分がこう思ったら涙が止まらなくなったという内容でした。

たくさん聴いているとさすがに毎回泣きはしませんが(^^;

 

ドラマはまだ4話なので、観ていく中でまた解釈が変わるかも知れませんが、今はこんな感じです。

 

曲ってただ流してるだけだと泣かなくても、歌詞の意味を考えてちゃんと聴くと、あ、これ私のことかも、歌詞を書いた方もこういう気持ちがわかる人なんだ、と思う涙が出ちゃうことも多いです。そういう曲が多くて、共感できるとそのアーティストさんのファンになったりするのだと思います。きっと。

 

感覚がズレている自覚はありますので、共感できない方はコメントで荒らしたり否定したりはお控えいただけたらと思います。

初の試みですので、不十分なところがあるかもしれないですが、ご容赦いただけますと幸いです。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

またここでお会いできますように。

 

 

 

言葉の裏がわからない

どうも、こんにちは、狐野です。

体調や気分に左右されやすくて、間が空いてしまいます…

もし楽しみにされている方がいたらごめんなさい。

 

さて、表題の件ですが、発達障害やグレーゾーンと診断された方の中には、この悩みは多いのではないかと思うのです。

そういった動画やブログも数多くあるので私が今更書いてもな…とは思うのですが、やはり避けて通れない道というのはあるものです。

 

時計を褒められたら、早く帰れ、というのを意味するとか、京都に行くとよくあると言うじゃないですか。私、そういう言い回しをされる方と付き合いがあったら嫌われる自信しかありません(笑)

自分は皮肉を言おうと思ったこともないですし、言われても素直に受け取ってしまって、皮肉だよ?と言われることもあったりします。

漫画やドラマで客観的に作品として見てると、そう見えるようにされてたりするので分かるですが、実際に言う人いるんだ?!ってなったりします。自分にそういう発想が無さ過ぎるのでしょうか。私の言葉を受ける側からしたらゼロではないのかもしれないですが、言ってやろう、って思ったことはないんですよね。

思った事を素直に口に出してるだけなので、何故気分を害したのだろう?となりがちで…(・・;)

バカにしてるとか、下に見てるとか、舐めてるのかって言われることもあるのですが、私としては全然、対等だと思ってるから気を遣わずに話してるだけ、なんですけどねσ(^_^;)

言葉って難しいです。

言われて嫌な言葉が相手にはそうでもないこともあるし、逆も然り。

ペンは剣よりも強し、なんて諺もあるくらい、言葉は呪いのような作用をすることもあるので、気をつけなければいけないのです。

普段使っているものだからこそ、大切な人と大事な話をする時は特に気をつけなければならないのです。

私は口に出して直接話そうとすると、失言したりが多くなってしまうため、文章で書いて、読み直して大丈夫かな、って確認しないとダメです。確認してもダメなこともありますけど(笑)

言葉に対する印象って、人によって違うので仕方ないと言えば仕方ないのです。

仕方ないという言葉だって、良い意味に捉える方と悪い意味に捉える方がいるように、自分にとっては良い言い回しだと思っていても相手にとっては不快な言い方だったりして、それが原因になって気持ちがすれ違ったりしてしまうんですよね。きっと。

普段使い慣れた言葉を発する時、どんなニュアンスで、どんな印象を持たれるか、それを全て考えて発言する方は、そう多くはないのではないかと思います。

本当は、そのくらい気をつけて話さないと、誤解はされるものと心得ておかないと、いつの間にか関係が拗れている、なんてことが起こっても不思議ではないはずなのです。

どんなに似通った感覚を持つ相手でも、100%重なり合うことは、おそらく奇跡です。

その言葉について話合って共通認識になったとしても、別々に過ごす中で少しずつズレていくものだと思います。

だからこそ、気をつけなければならないのですが、そんな事をしていたら寿命が縮まりそうで、とても普段からはできません。

それゆえ、相手のちょっとした言い方が気に障ったり、私が発した言葉が相手に突き刺さってしまったりするのです。

見えない傷がついても気にせず接していることも多いですよね。ですが、擦り傷のような細かくて小さな傷でも、何度も何度も繰り返していたら、いつの間にか傷が深く、治りにくくなっていることもあります。

そうならないうちに、話し合える機会を持てればいいのですが、持てなかったらどうなるかは、容易に想像ができるかと思います。

そんな風になりたくないと思うけれど、細かく何でも話し合うことは現実には難しくて、傷を隠して何もないフリをして付き合っている方が多いのではないでしょうか。

きっとこれは、障害のない方にも共通するかと思います。

どんな環境で、どんな育てられ方をして、何を見て、何を学んで、何を自分の中に取り入れて、自分の一部にしてきたか。

それが全く同じ人間なんて、いるはずありません。

だから人間は面白くて、他人の価値観を知るのは勉強になるんです。

自分の考えが基準になってしまうのは、自分との付き合いが1番長いから仕方のない、変えようがないことです。

それに気づかず、他人を無理に自分の価値観という型にはめ込もうとするから、揉めたり、自分の意思で相手の型にはまったとしても、だんだん窮屈に感じるようになったりするのだと思います。

その型の素材は人それぞれで、柔らかかったり、固かったり、破れやすくて繊細だったり、無限に広がる新素材の人だっているはずなんです。

他人に合わせて心地よく居られるなら、それが幸せだと思います。

窮屈に感じている人は、これからもずっとそのままではストレスで病気になってしまうかも知れません。

猫のように柔らかく、自分の形を変えることができれば、抜け出すことも、無理がありそうな体勢でも意外と心地よくなることもあるかもしれない、そう考えると、私は心が軽くなったりします。

 

言葉の話から逸れてしまいましたが、人類が発明した言葉という道具で、他人を無闇に傷つけずに生きていたいです。できる限り、ですが。それも他人の心が理解できないと、なかなか難しいのですけどね(・・;)

 

言葉の裏がわからないとは言いつつも、歌詞になると分かったりするから不思議です。(無理矢理な展開だな?←)

次回は、私なりにコブクロさんの「エンベロープ」の歌詞の解釈を書いてみようと思います。

私なり、なので、小渕さんが考えた伝えたいメッセージではないと思いますが、いろいろと考えながら聴いていて、涙が止まらなくなってしまったので、もしご興味がありましたら、読んでいただけると嬉しいです。

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

またこちらでお会いできますように。

 

経緯と経過観察、結論の出ない日々

こんにちは、狐野です。

珍しく昼間に書いております。

いろいろあり、徹夜です。

 

子供を持つ友人がSNSで感銘を受けたと言っているのを見て、私も見てみることにしたリエゾン

今期のドラマリストを見たはずなのに、そこで全く私の琴線に触れなかったのは何故なのか?と首を傾げるほど、涙無くして見られないドラマです。

 

自分が相手に抱く感覚が、一般的ではないことは学生生活が進んでいくとだんだんと実感することも多くなりましたが、その時はちょっと感覚がズレているのかな?くらいに思っていたのです。

母が就職を強要するような人ではなかったのも幸いし、私はまともな就活もせず、フリーターの道を歩むことになりました。

売店、郵便局、居酒屋のキッチン、デパートでのレジ打ち等々、そこまでマルチタスクがなくても意外となんとかなる仕事が多く、主に体力がなくなって体がキツいとか、人間関係がうまくいかないという理由で辞めることが多かったため、全く気にしていませんでした。

しかし無職になるきっかけの、友人の誘いでするようになった仕事が、物凄くマルチタスクを求められる仕事でした。同じようなミスを1週間のうちに何度も繰り返してしまったり、妙な集中力で周りが見えなくなったり…

コロナ禍になり、それまでチームでやっていた仕事を1人でこなさなければならないことも増え、自分1人では通常業務を処理しきれていないという現実にぶつかったのが、精神科を受診するきっかけでした。

職場の方もあれこれ考えてもくださり、うまく出来るようにといろいろ工夫してくださったのですが、それも自分にはピッタリとハマらなかったようで、どうして出来ないのか?こんなに出来ない人は初めてだ、もう面倒見きれない、とまで言われてしまい、ここで働くのはもう無理だと思ったのです。

それと同時に、私は私にしか出来ない仕事をしたいと思うことがよくありました。

ここの仕事は覚えたら誰にでも出来る仕事で、私が辞めても困らないよね?代わりはいくらでもいるよね?と辞めることにしました。

1年ほどはその職場での失敗の夢に魘されることもよくありましたが(笑)

仕事がうまく出来なくて相談していた精神科のカウンセラーの先生にも別れを告げ、辞めて晴れやかな気持ちになれるはずだったのに、私が1人でがむしゃらになり過ぎたせいで相方との関係が拗れてしまったり、本当にいろいろありました。

 

診断を受けたわけではないのですが、双極性障害も当てはまりそうだなと思う今日この頃…

やる気がある時とない時の波が激しいような気がするのです。

やりたいことはたくさんあって、うまく時間を使えたらいろいろ出来ることは分かっているし、自分で動かないと何も進まないことも分かっているのです。

だけどうまく進められない。

とりあえずブログは書く。

そんな日々です。

 

スマホは手が届くところにあるのでやれるのだと思います。

毎日できてはいないですし、威張れることじゃ全然ないですけど、1ミクロンくらいなら進んでいるのではないかと思うことにしてます。

 

やりたいことを、ひとつでもいいからやれるように生きていきます。

なんか徹夜でおかしなこと言ってる気がするので今日はこのくらいにしておきます。

散らかっててすみません。

 

リエゾンのエンディングテーマ、コブクロエンベロープを聴いていると涙が溢れてしまう方はきっと仲間です。

歌詞がとても刺さります。エンドレスで聴いています。

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

またこちらでお会いできますように。

空間認知能力の欠如

お久しぶりです。

狐野です。

 

まぁ、よくぶつかるし、躓きます。

自分では避けているつもりなのに、体がうまく操作できてない、って感じです。

特に自覚なく脳が疲れたりすると、足先まで脳波が届いてないみたいな感じだと思います。

感情の波が激しいけれど、事を荒立てたくない性格のため、自分の負の感情を我慢して普通に振る舞うようにするのですが、溜め込み過ぎると脳が酸欠状態になるような感覚です。

特に相方と歩いていると、よく躓くので、躓かないようによく見て歩け、と言われるんです。でもよく見てるつもりで見れてなかったり、うまく足を操作できてなかったりで、本当によく躓きます。

10分ほどの散歩で1回も躓かないことはないくらいなのです。

もういっそ、転けるほどじゃなければ実害がないし良いだろうと思うのですが、相方は転ぶかもしれないし、そんなの分からないんだから用心しろと言うので話が終息しません。

事を荒立てたくないのに、特性でもある融通の利かなさや、空気の読めなさが出てしまうのか、気をつけるとは言っても100%なんて無理だし、どうせまた躓くからとその場で適当に当たり障りのない会話にできないのです。そうなるとなんだか空気が悪い感じになるけど、家に帰ったら母とは普通に会話してニコニコしてるし、どういうこと?!?!となることもしばしば。

 

私の場合かも知れませんが、空間認知能力は、ストレスや体調でホルモンバランスが崩れると余計に低下してしまい、普段は避けられているところにぶつかるし、上り慣れている階段でも転けそうになるし、本当に厄介です。

車の運転なんて考えただけで大事故起こしそうで、とてもじゃないけど免許取ろうなんて思えません。まぁ、車自体にも興味がなかったので幸いかと思います。自分の体でさえしょっちゅうぶつけるのに、自分の体じゃないものを現実で操るなんて恐ろしすぎます…!

いつも出掛ける時に運転してくれる相方には、とても感謝しています。

助手席に乗っていると、左側ぶつからないように確認して、と言われることも多いですが、どこまでが大丈夫なのかもよく分かりません。近づいて来る車や自転車、通行人がどこまでならこっちが通れて、どこまで来たら通れないのか、そういう予測も苦手です。その他に標識や信号を確認したり、ウィンカーをつけたり、窓が曇ったらヒーターをオンにしたり、暗くなったらライトを点けたり、車の運転はマルチタスク過ぎて、私にはできそうにないなぁとしみじみ思います。

助手席に乗って補助(できてるのか謎ですが)してるだけで疲れてしまって、帰りに寝てしまうと、たまに知らない道を走ってると不安だから起きてて欲しい、と言われたり…疲れやすいこともあり、相手の思うように行動出来なくてサポートできないことは、自分でも不甲斐ないと思うこともあり、できるようになれたらいいなと思いつつ、特性な上たまにしかやらないことは慣れるのも難しいのです。

いっそ後ろの席に乗る方がいいのではと思ったりもするのですが、助手席のホールド感がないと車酔いしやすいこともあってなかなか実現には至らないのです。

かといって車に乗らずに生活するのも無理ですし、空間認知能力の向上はあまり望めない気がするので相方にはストレスをかけてしまうなぁと、日々申し訳ない気持ちになったりしています。

カウンセラーの先生には、特性として苦手なことの中には工夫してもうまく改善できないこともあり、仕方ないこともあって、申し訳ないと思うことはないと言われました。ですがこれは私の性格なのか、なかなかそう割り切れなくて、相方にもうまく伝えられず悩みは尽きません。

 

同じような悩みを少しでも共有して、悩んでるのは自分だけじゃないんだと思っていただけたら嬉しく思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

またここでお会いできますように。

 

 

共有不足、気がつかない、気が利かない

どうも、ご無沙汰しております、狐野です。

記事にする内容がうまくまとまらなくて時間が空いてしまいました。

 

やはり日々の中で困ることというと、タイトルの通り他人と共有すべきことをしていなかったり、気がつくべきことに気がつかなくて、気が利かないと言われてしまうことが多々あります。

行き先をしっかり伝えていなくて運転手をしてくれる相方の機嫌を損ねてしまったり、確認すべきことをしていなかったりがよくあります。

これは発達障害の方の特性に当てはまるのか、私が特別苦手なのかは定かではないです。

 

多動型の方は、思考があちこちに飛んでしまい、次々と別のことに気を取られることが多かったり、思いつきで行動してしまい、それまでやっていたことを放置してしまうと、相手にとっては不足に思われてしまうこともあるのかと思うのです。わざとやらないということではなく、忘れている、というのが真相ではないかと思います。

悪気があるわけではないのに、悪意があると取られることがあり、とても傷ついたりします。

基本的に、相手の立場になって考えたりすることがとても苦手なので、どうしたら相手が助かるか、ということがなかなか想像できないのです。

毎日繰り返せば身につく事もあるかもしれませんが、忘れやすいという特性もあるため、たまにしかないと覚えていられなくて、前にも言ったのに、と怒られてしまうこともあります。

忘れたくて忘れているわけではないので、それもツラかったりします。

日によって調子が良い悪いがあるので、気がついて気が利くと言われることをできることもあるのですが、普段出来ないことが多くて、今日は出来てる、なんて言われてショックを受けることもあったり…

体調や精神的に調子が絶好調なことはそうそう続かないので、出来る出来ないにムラがあるのは、ある程度仕方ないのかなとは思いますが、出来ることならいつでも調子良くありたいですね…全然整えられてないですけども_:(´ཀ`」 ∠):

悩まなくてもいいことを悩む癖があるので、それをやめられると楽になるのかも知れないですが…

自分の性質が、自分のために何かをするより、他人に何かをして役に立ってるなと思うことで幸福度が上がるタイプなので、役に立たないと思われたりすると、やはり落ち込んでしまい、頭が回らなくなるのだろうなと思うのです。

 

今回はあまり解決しよう的話ではなかったですが、同じような体験されている方に共感していただけたら嬉しいです。

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

またこちらでお会いできますように。