kitsuneno88の日記

グレーゾーンの診断をされた狐野が書く、徒然日記です。

言葉の裏がわからない

どうも、こんにちは、狐野です。

体調や気分に左右されやすくて、間が空いてしまいます…

もし楽しみにされている方がいたらごめんなさい。

 

さて、表題の件ですが、発達障害やグレーゾーンと診断された方の中には、この悩みは多いのではないかと思うのです。

そういった動画やブログも数多くあるので私が今更書いてもな…とは思うのですが、やはり避けて通れない道というのはあるものです。

 

時計を褒められたら、早く帰れ、というのを意味するとか、京都に行くとよくあると言うじゃないですか。私、そういう言い回しをされる方と付き合いがあったら嫌われる自信しかありません(笑)

自分は皮肉を言おうと思ったこともないですし、言われても素直に受け取ってしまって、皮肉だよ?と言われることもあったりします。

漫画やドラマで客観的に作品として見てると、そう見えるようにされてたりするので分かるですが、実際に言う人いるんだ?!ってなったりします。自分にそういう発想が無さ過ぎるのでしょうか。私の言葉を受ける側からしたらゼロではないのかもしれないですが、言ってやろう、って思ったことはないんですよね。

思った事を素直に口に出してるだけなので、何故気分を害したのだろう?となりがちで…(・・;)

バカにしてるとか、下に見てるとか、舐めてるのかって言われることもあるのですが、私としては全然、対等だと思ってるから気を遣わずに話してるだけ、なんですけどねσ(^_^;)

言葉って難しいです。

言われて嫌な言葉が相手にはそうでもないこともあるし、逆も然り。

ペンは剣よりも強し、なんて諺もあるくらい、言葉は呪いのような作用をすることもあるので、気をつけなければいけないのです。

普段使っているものだからこそ、大切な人と大事な話をする時は特に気をつけなければならないのです。

私は口に出して直接話そうとすると、失言したりが多くなってしまうため、文章で書いて、読み直して大丈夫かな、って確認しないとダメです。確認してもダメなこともありますけど(笑)

言葉に対する印象って、人によって違うので仕方ないと言えば仕方ないのです。

仕方ないという言葉だって、良い意味に捉える方と悪い意味に捉える方がいるように、自分にとっては良い言い回しだと思っていても相手にとっては不快な言い方だったりして、それが原因になって気持ちがすれ違ったりしてしまうんですよね。きっと。

普段使い慣れた言葉を発する時、どんなニュアンスで、どんな印象を持たれるか、それを全て考えて発言する方は、そう多くはないのではないかと思います。

本当は、そのくらい気をつけて話さないと、誤解はされるものと心得ておかないと、いつの間にか関係が拗れている、なんてことが起こっても不思議ではないはずなのです。

どんなに似通った感覚を持つ相手でも、100%重なり合うことは、おそらく奇跡です。

その言葉について話合って共通認識になったとしても、別々に過ごす中で少しずつズレていくものだと思います。

だからこそ、気をつけなければならないのですが、そんな事をしていたら寿命が縮まりそうで、とても普段からはできません。

それゆえ、相手のちょっとした言い方が気に障ったり、私が発した言葉が相手に突き刺さってしまったりするのです。

見えない傷がついても気にせず接していることも多いですよね。ですが、擦り傷のような細かくて小さな傷でも、何度も何度も繰り返していたら、いつの間にか傷が深く、治りにくくなっていることもあります。

そうならないうちに、話し合える機会を持てればいいのですが、持てなかったらどうなるかは、容易に想像ができるかと思います。

そんな風になりたくないと思うけれど、細かく何でも話し合うことは現実には難しくて、傷を隠して何もないフリをして付き合っている方が多いのではないでしょうか。

きっとこれは、障害のない方にも共通するかと思います。

どんな環境で、どんな育てられ方をして、何を見て、何を学んで、何を自分の中に取り入れて、自分の一部にしてきたか。

それが全く同じ人間なんて、いるはずありません。

だから人間は面白くて、他人の価値観を知るのは勉強になるんです。

自分の考えが基準になってしまうのは、自分との付き合いが1番長いから仕方のない、変えようがないことです。

それに気づかず、他人を無理に自分の価値観という型にはめ込もうとするから、揉めたり、自分の意思で相手の型にはまったとしても、だんだん窮屈に感じるようになったりするのだと思います。

その型の素材は人それぞれで、柔らかかったり、固かったり、破れやすくて繊細だったり、無限に広がる新素材の人だっているはずなんです。

他人に合わせて心地よく居られるなら、それが幸せだと思います。

窮屈に感じている人は、これからもずっとそのままではストレスで病気になってしまうかも知れません。

猫のように柔らかく、自分の形を変えることができれば、抜け出すことも、無理がありそうな体勢でも意外と心地よくなることもあるかもしれない、そう考えると、私は心が軽くなったりします。

 

言葉の話から逸れてしまいましたが、人類が発明した言葉という道具で、他人を無闇に傷つけずに生きていたいです。できる限り、ですが。それも他人の心が理解できないと、なかなか難しいのですけどね(・・;)

 

言葉の裏がわからないとは言いつつも、歌詞になると分かったりするから不思議です。(無理矢理な展開だな?←)

次回は、私なりにコブクロさんの「エンベロープ」の歌詞の解釈を書いてみようと思います。

私なり、なので、小渕さんが考えた伝えたいメッセージではないと思いますが、いろいろと考えながら聴いていて、涙が止まらなくなってしまったので、もしご興味がありましたら、読んでいただけると嬉しいです。

 

ここまでお読みいただきありがとうございます。

またこちらでお会いできますように。