助けて欲しいと言いづらい
こんにちは、狐野です。
突然ですけど、助けて欲しい、と素直に他人に頼める人って尊敬します。
基本的に自己肯定感が低いせいか、「私が助けを求めて何か見返りを求められても得意なこともあまりないし、何も出来ないし、助けてもらって相手の時間を分けてもらって、向こうに何か得はあるのか、ない気がする、自分でなんとかやってみるか…」となりがちなのは、私だけでしょうか…?
それでなくても、いつなら相手の都合が良い時なのかを見極められなくて、いつ声を掛けて良いのかも分からないし、コミュニケーション下手で何と声を掛けたら気持ち良く、気分を害さず引き受けてもらえるのか…とかごちゃごちゃ考えてる間に自分でやる方が早いわ!!ってなるのですよね…まぁ、大体想定より時間掛かって後悔するんですけども。
その上、相手には困ってるとか、私が一人でやってることに時間掛かっててるなとか気にして欲しい…なんて思うことがあって、本当困ったちゃん過ぎるなと自分でも思います。
自己中と言われても仕方ないというか…
助けを求めるって、どの程度なら断られないかとか、どのくらいなら迷惑になって面倒で相手の負担になるのかとか、過去に「このくらいなら全然だよ」って言われていたとしても、いざ頼むとなると、これはどの程度なんだ?!?!迷惑なレベルか、このくらいならちょっとしたことかな?!?!?!と悩んでしまうのですよね。程度というか、匙加減というか、具体的な基準を付けられない物事って、定型発達の方は今頼もうとしてる事は以前頼んだ事と同じくらいの労力だから頼んでも平気だなって瞬時に判断できるのでしょうか…私にはとても謎です。
すごい能力だなぁと、素直に尊敬します。
そういう曖昧な基準が多すぎて、とても生きづらいなぁと思うことは多いです。
しっかりして、ちゃんとして、適当にお願い、早めにやっておいてetc、etc。頼まれる言葉って、種類が多すぎて、相手が求めるレベルが分からないこともかなり多いです。
そう考えると助けを求められるのも苦手かもしれません。
例えこちらから頼むことができたとしても、自分が想定してることよりも不足していると文句を言ってしまうし(最低だなと思うのですけど、あれ?これしかやってないね…?ってなると言ってしまうのです…本当に自分勝手(-_-))、相手に誤解させないように、不足なく説明するって本当に難しくて、お互いに嫌な思いをするくらいならいっそ助けを求めず一人でなんとかしよう…となってしまうのです。
基礎にそういう思考があると、仕事では大きなミスに繋がるのでやめた方が良いのですよね。
なかなか改められないから、何度も繰り返して怒られてたりするのですよね。
解ってても何度も何度もやらかしてしまうのですよね………
ここに来られなかった間にいくつか本を読みました。
「習慣が10割」という本には、脳は快感を求め、不快なものを避けるという2つの判断しか出来ない、そして不快になっている習慣を快感に変えていければ続けられる良い習慣になっていく(すごい端折ってるのでうまく説明できてないかと思います、すみません…!ニュアンスで覚えているのでこんな感じだったかと…)と書かれていて、なるほど、と思ったのです。
私の中では、助けを求めた後が、おそらく不快な回路に繋がっているのかなと。
助けを求めた後が良い印象になるように慣らしていったら、いつかきっと他人にうまく頼れる人間になれるのではないかと気づいたのです。
知らずに試行錯誤するよりも、ヒントを得て成功率が上がる方法を試すのがきっと人生を良くすることに繋がるのかな、と思う日々です。
私の体験がどのくらいの方の役に立つかは分からないですが、ひとりでも救われたらとても嬉しいです。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
またここでお会いできますように。